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【映画感想】バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2

 未来編の2015年は今から観ると色々と感慨深いものがあった。ズボンのポケットをひっくり返すのが流行っている設定は笑える。マイケルジャクソンは既に亡くなってしまったし、1989年当時は日本が世界経済をリードしていて物語の中の2015年はそれが反映されているらしいがちょっと分かりにくい。よーく見ると日本の服装や文字が出てくる。日本文化が世界により浸透している状況設定。未来のマーティの会社の社長も日本人。しかし現実は見ての通り、日本はアメリカに圧倒されてしまった。やはり未来は予想できない。

 この映画のタイムトラベルの整合性や設定についてはあまり深く考えない方がいいと思う。というより深く考えようがない。過去に戻って色々やって現在に戻ると関係した部分が変わるのだが考えすぎると訳が分からなくなる。ドクが説明する時間軸の話が少し分からなくて、この映画の時間軸は一本でそれが過去に戻って何か行動すると現在が改変され続ける、つまり軸自体は一本のような気がする。ドラゴンボールのトランクスの未来のように別の時空ではなく一本に繋がっているはず。

 真っ先に思った矛盾点はビフが1955年からそのままの2015年の現在に戻ってくる所。ビフの視点からすると改変された1985年が存在したようにそこはまずは改変された2015年じゃないとおかしい。何も変わっていない現在に戻ってくるビフは都合が悪すぎる。しかし、これは考えても仕方がない、考えようのない事。マーティの視点から物語は作られていて、改変された瞬間に元の世界は一体どうなってしまったのかは深く考えようがない。新聞の内容やマッチの名称が変わるように世界全体もフワフワと変わっていくはずである。ジェニファーは眠ったまま改変された1985年に取り残されるけど、再び1955年に戻ったマーティ達の活躍によりさらに改変される。その時、もしジェニファーが起きていたら世界全体がパッと変わる様子が見えるはずである。時間軸は一本だと思う。そもそも未来に行った時点で未来の自分に会う状況はおかしい。30年間、行方不明のはずである!

 一番気になったのはドクの設定で、時間軸はマーティと初めて出会った1955年のドクから繋がっている。パート1の防弾チョッキを着ていたドクは過去の出来事を当然知っている。という事は今作のラストで再び出会うマーティの事を最初から(パート1の時点で)ドクは知っていたのだろうか?時間軸が一本で整合性を取るならそうなる。つまり最初からドクは何もかも知っていた可能性がある。それとも、世界が改変されるようにドク自身も改変されているのだろうか。パート1の冒頭でドクは本当に死んでいて歴史が改変されて生き残ったのか、それとも時間軸は一本で最初から防弾チョッキを着ているのか(何もかも知っている)。本作は時間軸が一本と改変の描写が混ざってるので深く考えようがないが、常に行動を共にするドクは一本の軸の中にいるような気がする。本当は最初から何もかも知っているからこそ未来の出来事を知りすぎるなと忠告する事もできる。

 パート1の1955年に再び戻るアイデアはこの映画でしか出来ない。最初は1960年代だったらしい。2015年のマーティが事故でミュージシャンを諦めて後悔の人生を歩んでいるが、その後どうなったのか。事故を回避するのか何かあるのか、すっかり忘れたパート3をもう一度観るしかない。