dw821memories’s blog

映画の感想などを書いていく予定です

【映画感想】2012

 レンタルビデオ屋の『2022』の隣にあったのが『2012』で、ついでに借りてきた。地球災害系で『2022』と設定が似ているが、こちらはアメリカ映画で全く繋がりのない別の作品。

 2012年に太陽系の惑星が一直線に並ぶ現象が実際にあったらしく(この映画は2009年製作)、それが原因でニュートリノが暴走して地球内部が電子レンジ状態になって大地震や大津波が世界中で起きて人類滅亡の危機になるという状況設定。

 ド派手なCGや随所にコミカルな演出も織り交ぜて完全に「娯楽性」を追求している。派手な地割れ、車で脱出、セスナを飛ばす、旅客機で不時着、そして方舟と、次から次へとパニックシーンが続いてスピード感がある。そしてそれらのCGが超リアルに描かれていて、10年以上前の映画だけど全く最近の映像に感じる。

 大災害を予期していたヒッピー風の変わった男が避難を拒否して犬死したり、方舟に乗り込む時に裏切った旦那に中指立てたり、ギャグやユーモアが散りばめられている。世界が沈んで人が大勢死ぬ割にはあんまり深刻にならずに済むように作られている。

 特権階級だけが生き残る「ノアの方舟」に主人公の家族達が密航したせいでドアが故障してしまい、大事故寸前に。これは主人公達のせい。この状態を主人公の男が水に潜って対処してギリギリ打開し、大歓声が巻き起こる。よく考えれば自作自演で、下手をすればフルボッコ状態になるかもしれないが、そんな事はどうでもいい。細かい事を考えない方が楽しめる。

 映画館でポップコーンとコーラを飲みながら観るのに最適と言えるような作品で2時間半があっという間。例えばデートで観るならこの手の映画は持ってこいと思われ、あんまり感動的すぎる映画だと観終わった後にしんみりしてしまう可能性もある!映像が綺麗で馬鹿っぽくて分かりやすい、さらに適度に家族愛も描かれている良作。

 この映画のように偉い政治家や特権階級だけが何らかの秘密を知っていて裏で状況が進んでいるような事が実際にあるような気がしてきた!

【映画感想】2022

 全然知らない映画だったけどレンタルビデオ屋で目に留まって借りてきた。借りた理由はたった一つ、今年が2022年だから!

 大津波が2022年にタイを呑み込む2009年製作のタイ映画。津波シーンの水の表現、車が濁流に流されたり、高速道路が破壊されたり、瓦礫の山の風景など、特撮CGは思いのほか迫力があった。映像全体の色が意図的にグレーになっていて暗い感じがある。僕はアクション系はどちらかと言うとカラッと明るい色調の方が好きだな。

 主人公達の研究所の外にエイリアンやプレデターの人形があって、ここだけ少しユーモアがあったのだが、ストーリー全体は自然破壊など真面目なテーマが軸。この映画の中での津波の設定は人間が環境破壊をした結果(天罰)となっていて、悪役が津波で死んで善人は助かるという分かりやすいもの。タイ首相はイイ人。子供達を助ける為なら自ら津波に突っ込む。子供達を助けたあと津波に流されて死んだと思いきや巨大如来像が浮き上がってきて、その手に乗っかって助かってる。首相救助のシーンが少し長く感じた。長いと例えば救助が失敗して別の展開があるのではと感じてしまう。

 この映画の最大のポイントは2009年に製作されている事だと思う。津波と言えば2011年の東日本大地震を思わない訳がないし、冒頭で鳥インフルエンザで2000万人死んだ設定も興味深い。地震の緊急事態宣言発令による経済打撃の懸念など、まさに最近の出来事と重なる。この映画の中では首相が経済に打撃が出る事を承知しながら緊急宣言を発令することを正義として描かれている。映画の中では正義として描けるが、実際にはどうか、似たような出来事が本当に起きた今だからこそ捉え方が違ってくる。

 僕が思うに最近、なりふり構わず安全側に対策を振っているような気がしてならない。例えば津波や気象の規模データが出ているにも関わらず、いくら安全優先とはいえ、大袈裟な情報を出せばいいものではないと思う。結果、行事が中止に追い込まれたり、経済に悪影響が出たり、下手をすると大衆はそういった情報をそのうち信用しなくなるだろう。コロナ禍もしかり。本質的なデータに則って対策をすべきだ。安全側に振って少しでも被害が出れば辻褄を合わせる事が出来るかもしれないが、それは後付けの理論で正しい情報による判断とは言えない。

 ラストシーンの瓦礫の前で首相の何の捻りもないストレートなスピーチ、今の時代だからこそ心に響いて考えさせられる!エンドロールの歌も凄くいい曲だ!

【映画感想】日本統一16

 流れ弾でカタギに犠牲者が出た為に工藤会長が停戦指示、物語もスローな展開に。今までの日本統一で一番ゆっくりしたペースかも。

 侠和会として仕返しが出来ないため、氷室が「例の奴らを使う」とし田村が「もうカタギだから大丈夫」と話す。てっきり以前のシリーズで登場した人物、例えば元信闘会会長でも出てくるかと思ったら違っていて、全く新しい元ヤクザらしい三人組での作戦となる。作戦も淡々と進み、坂下組長らもあっけなく取られる。坂下組長は死ぬ時に「俺は身内は売らん!」とラストメッセージ。たぶん言葉通りの意味だろうが、前回で少し怪しい動きのあった馬場組長は事件に全く関係してなさそう。あの京都でバッタリ出くわした時の怪しいカット割りは一体何だったのだろうか?

 関東の丸神連合三田組組長秋本照政が氷室蓮司に「将来ぶつかったら、その時どうする?」と話す。氷室蓮司が「お互いテッペン取って丸く収めよう」と言うのかと思ったら「テッペン取った後、その時は徹底的にやり合おう」と将来の戦争を示唆。なるほど、そう来たか。これは面白い展開になると思った。氷室蓮司と秋本照政は熱い友情で結ばれているが、お互い別々の大組織の人間。『北斗の拳』のケンシロウラオウみたいに旧知の深い間柄の男同士が最終的には戦うみたいな。いろんな敵に出会うが結局、最大の敵(ラスボス)は最初から身近にいた男。こういう展開は何故か男心を擽るものがあるね。

 名古屋を取り込もうとする西日本睦会vs侠和会。四国も東北も侠和会が強すぎて戦争は一方的に終結。西日本睦会もそこまで強くはなさそう。次は『日本統一17』、順番に観ていく。

【映画感想】ジョーカー

 『バットマン』シリーズは一度も観たことがないのでスピンオフらしいこの作品を理解できるのかと思ったが、全く問題なかった。ジョーカーというキャラクターの誕生秘話というよりも、彼をモチーフとした全くの単体の映画と捉えてもたぶん大丈夫だと思う。

 観た人によって感じ方は勿論、ストーリーの解釈すらも捉え方が違ってくると思う。精神の持病があって社会的に貧しい立場にある男(アーサー)が描かれているけど、隣りに住む女性とは恋人関係にあって自分のライブを観に来てくれたりデートしたりでまだマシじゃないかと思って観ていたら後半、それが全部アーサーの妄想だったと思わせるシーンがある。いくつかの場面が普通に続いているようで、後からのシーンで少し辻褄が合わなくなり「あれは妄想だったのか」と思わせる展開が斬新。たぶん妄想だけど絶対とは言い切れない描き方が上手だと思った。

 この妄想と思われるシーンも実は現実とも見て取れると感じた。彼女との関係も現実だったとギリギリ捉えられなくもない(子供がいる前だから親しくないフリ、自分の部屋に突然座っているからビックリしてヨソヨソしくなったかも)。ただ、確実に妄想と断定できてしまう場面があってそれは最初のテレビ番組出演。後半でアーサーが司会者と控室で打ち合わせをする時に「初めまして」というような会話があってあれが妄想と分かるのだが、ここがちょっとだけ勿体なかったかなと。現実だと思わせといて妄想だった、と思わせておいて実はやっぱり現実だったという可能性を残して欲しかった。

 アーサーの母親と有名実業家との関係も面白い。どっちが本当の事を言っているのか。書類が出てきてアーサーは養子だと記載されているが実業家の権力で全て捏造し、彼女を精神疾患に見立てて嘘をなすり付けたとも見れる。つまり母親の言っている事がやっぱり本当で、2人は実の親子であり本当の父親は実業家の男であると。こちらは都合の悪い事実が妄想として処理されてしまったのかもしれない。

 不謹慎にも笑える場面があって、アーサーが少年達に看板を奪われてダッシュしたり、パフォーマンスの最中に拳銃を落としてしまったりと慌てふためく様子がピエロの格好だから余計に滑稽で面白い。1番笑えたのはライブの最中に持病の笑いの発作が止まらなくて全然ネタがうまく喋れなくて、全く受けてなくて、自分の笑い声だけが虚しく響いていて、一生懸命やってるのに全然うまくいってなくて、悲壮感がある場面にも関わらず僕は面白くて仕方がなかった。笑うところではないけど不謹慎にも笑ってみろと言わんばかりに、そんな所も計算されて作られているかもしれない。

 ラストシーンも『トータルリコール』ばりの全て妄想落ちとも解釈できるし、実際に捕まった後の取り調べとも見れる。部屋から出た後の血の足跡は実際にはついてなくて、アーサーの狂気を表した演出だと僕は思った。最後の最後にアーサーが廊下を走っている場面には血の足跡はついてないような気がする。とにかく、観た人によって色んな解釈が出来る場面が多い。

 アーサーが地下鉄で暴れたり、元同僚をハサミでズタズタにしたり、生放送中に司会者を拳銃でブチ殺したりで、もう滅茶苦茶にしたれというシーンがあって、しかもそれらの行動が社会的弱者に熱狂的な支持を得ていく展開で、これに変な影響も受ける人も出てくるんじゃないかと思って観ていたのだが、そう言えば去年、日本でジョーカーの格好を真似た男が地下鉄で暴れた事件があったなと、思い出した。事件を起こすのは、いかん。

 ホアキンフェニックスの横顔にリヴァーフェニックスの面影があった。少なくともリヴァーが亡くなった当時は彼の弟でしかなかったホアキンがここまでの俳優になるとは!

【映画感想】日本統一15

 前半、刺殺された金澤宏之のカタギの弟が出てくる。一瞬、兄の影響でついにその道に入ったのかと思ったが、テロップがすぐに表示されて別の役だとわかった。日本統一では同じ俳優が後から別の役で再登場する事がある。みんな演技が上手いので別の役ではちゃんと違った雰囲気を出している。

 丈治が組長付となりステップアップする。実の親の川谷雄一は甘やかしすぎ、平等に頼むと氷室に言うがどこか嬉しそう。現実的に考えるなら元々、直参の山崎組に入れる事自体が特別待遇だと思う。まずは三次団体から始めるとかではなく、いきなり直参の組織の組長達と関わりあってるのは特別じゃないのか?やはり総裁の息子はスタートラインが違う。菅谷に対して「俺も負けませんで」と言うが、最初にお世話になった人には例えどんなに立場が変わっても敬意を変えてはならないと思う。それが賢い立ち回りであるとも思う。

 回想シーンで大宮和也の場面が出てくる。すぐに死んでしまうには勿体ないぐらいインパクトのあった人物で、演じている小沢和義が凄く良かった。長い台詞の言い回しは迫力があり、短い台詞なのに怖かったり、狂気じみた殴り方や蹴り方が上手い。最高の演技や存在感を見せてくれて、再び別役で出てきて欲しいな。

 今作では再び玄誠会福本が事件を勃発させる。三谷組組長、工藤会長、そしてラストは氷室まで襲撃。三谷組組長はタバコを吸いながら死ぬのだが、刺された状態でヤクザがタバコを吸う姿が様になりすぎるのは何故だろうか。田村悠人が坂下組を爆破するシーンで初めて派手なCGが使われる!一発で合成と分かる少し懐かしい演出だが、日本統一でもどんどんCGを使ってほしい。リアルさなんか別にどうでもいい。状況や少しの迫力さえわかれば問題なし。

 侠和会若頭補佐馬場伊佐雄の動きが怪しい。ばったり京都で龍征会と出くわす場面はそれを匂わしていた。襲撃のタイミングが良すぎる。坂下組への内通者なのか、先はまだわからない。氷室蓮司襲撃真っ最中で『日本統一16』に続く!!

【映画感想】シン・ゴジラ

 ゴジラシリーズは20年ぐらい前の異常に動きの速いハリウッド版しか観たことがなかった。最初の方で巨大モグラのような怪獣が出てきてこれをゴジラが倒すのかと思ってたら、それがゴジラだった。今まで日本のCGや合成はアメリカ映画に比べると相当劣る印象があったが、津波のシーン、巨大モグラゴジラが車をなぎ倒して進んでいく場面など、かなりリアリティと迫力があった。全体的に映像がもの凄く綺麗。最終形態になった時のゴツゴツした皮膚の中に小さい目があるゴジラの顔がカッコいい。

 ストーリーのテンポが速いのはいいのだが、場面が変わった時や新たな登場人物が出てきた時に必ずテロップが表示されて、長い肩書きや場所の細かすぎる説明(何階、廊下など)がある。しかも一回しか出てこないような人物にもテロップが入るので、文字を読みながら速い台詞を聞く事になり細やかなストーリーが頭に入ってこない。この映画は複数観ること、さらにDVDで一時停止しながら観る事を想定して作られているんじゃないか?2回目は一時停止とスマホで難しい用語を少し調べながら観た。

 もし今、本当にゴジラが出現した時人々はどうなるのか、そこを政治家の主人公達の目線から描かれている。文書や議会を通さないと新しい行動が出来なかったり、総理が武力行使を躊躇してしまったり、群衆の中にはゴジラを祭り上げる派閥が出てきたりと実際に起こるかもしれない場面が緻密に描かれていた。

 通常兵器が全く通用せず、ゴジラが怒って東京を燃やして紫色のレーザーで街を破壊しまくる。ついに国連主導で核攻撃の判断が下る。その途端、米国大使のカヨコが核攻撃反対の考えで矢口と意気投合する場面がある。広島や長崎の繰り返しはしないと。僕は少し違和感があって、それは状況が全く違うのではないかと。戦争で核を使うのとは違い、分かりやすい例なら『アルマゲドン』で隕石を核で破壊した時と同じ考えに近い。確かに東京は破滅してしまうのだが、ゴジラという究極の脅威の中では仕方のない事だと最後の最後までそう思いながら観ていた。エネルギーを使い果たしたゴジラが睡眠状態になって、2週間の猶予があるなら尚更そうしなければならない。徹底避難の末、核攻撃、もうそれしかない。矢口の上司の赤坂が核攻撃の判断を正当化する場面があるが、あれこそ政治家の考えであり、大衆も状況がわかってるならそう思うだろう。僕ならさっさと核攻撃してゴジラを消滅させてくれと思う。つまりあの判断は正義感ではなく、矢口とカヨコが個人的な感情に流されてしまっているとも受け止める事ができる。

 後半、ゴジラの血液を凝固させて凍結させるという無謀な「矢口プラン」が決行される。そのプランは成功しゴジラは東京駅で凍ったままずっと動かなくなる。ゴジラは凍結されているとはいえ再び動き出せば約1時間に核攻撃カウントダウン、そんな状態では東京に人が住めるはずもない。もしこれが現実に起こったならば、凍結している間に住民を避難させて核爆弾をゴジラ付近に仕掛けて消滅させる世論が出てくるだろう。結局、核しかないという結論になる。それを広島長崎の二の舞と判断するのは違う。矢口とカヨコが恋愛状態になっていると思われ、理性的な判断ができなくなっている可能性がある。それは危険な政治家かもしれない。

 ラストカットのゴジラの尻尾について。尻尾から人が出てくる途中で凍っていて、これが何なのか、何を意味しているのか。こういう終わり方は「観た人の想像にお任せします」となるのだが、ここが上手だと思った。なぜなら、いちいち場面や人物の細かいテロップがあったり、説明がしっかりしている長い台詞回しがずっと続いてきた映画なので、この謎の終わり方にも実は深い意味があるのだと観客に思わす事が出来る。どうでもいいような事に説明があるくらいだからラストの謎の尻尾に理由がないわけがないと。想像に任せておきながら、実は何らかのちゃんとした答えがあるのだと感じさせるのがうまい。

 コロナ禍の前に作られた映画で、今から観ると少し違った捉え方が出来るかもしれない。総理が官邸から避難するのを躊躇うシーンも別に早くそうすべきだと思うし、矢口プラン実行時に矢口が即断で自治体に外出自粛や待機要請などを要求するなど、最近ではもう聞き慣れた単語が出てくる。そしてそれらの法的な拘束力のない自粛や要請などが、良いか悪いかは別として、日本人特有の同調圧力も相まってかなりの効力があったと証明された。いちいち法律や議会で承認を得なくても要請レベルで対応できる。結果的にはあの時の矢口のような判断で対処できるとわかった。

 総理代理役(平泉成)と赤坂(竹野内豊)が『ビーチボーイズ』の上司と部下と同じような役柄で共演している。ビーチボーイズは僕の大好きなドラマで20年越しの復活みたいな感じがして少し嬉しくなった!

【映画感想】日本統一14

 進友会組員による侠和会組員刺殺事件で状況悪化。葬式のついでに侠和会組員900人が東北に乗り込む展開は迫力満点。刺殺した進友会組員が引き続き登場するのだが、別の人物が出頭したのだろうか?新聞記事のシーンをよく見ると出頭したかのような事が書いてある。

 裏で絵図を描いている則坂組長がもはや何のためにやっているのかが分からなくなってくる。菖蒲川一家総長、進友会会長の暗殺未遂、その後は侠和会を装って進友会事務所カチコミで侠和会vs進友会の抗争激化を図ろうとするのだが、その理由が考えれば考えるほど分からない。一体、則坂に何のメリットがあるのか。結局、ただの悪キャラという事に落ち着いてくる。最後は氷室らに全てを見破られお陀仏となる。

 菅谷謙太が急成長。秋田到着後の銃撃では丈治を守る。特別扱いされている事を気にした丈治に対して、自分も氷室蓮司の甥だから気持ちが分かるなど、イイ関係が築かれていく。よく考えれば、下っ端とはいえそもそも直参の山崎組に入る事自体が特別である。氷室蓮司は直参上田組傘下の三上組の一員からのスタートだった。直球タイプの菅谷は人を育てる事で自分も成長するタイプかもしれない。銃撃戦の最中にまたまた偶然にもセピアのママを助け、関係が深まる。しかし元彼が進友会会長平川進であり彼女が彼に未練があると分かるとサッと身を引く。菅谷謙太、いつの間にこんなにカッコよくなったんだ?

 進友会は侠和会と友好関係にある極山会と盃を交わして戦争終結。最後、氷室と平川は仲良く乾杯するのだが、相当数犠牲になった組員がいる事を忘れてはならない!!正直、彼らは犬死かもしれん。今作から学んだ事、時にはやたらに動かない事も大事。状況は時が改善する。氷室らは北海道にも触手を伸ばした模様。

 エンドロールが物凄く凝ってる。実際のねぶた祭りを沿道で見物する侠和会メンバー。本物の祭りの中カメラを回し、一発撮りのような映像で臨場感があった。特に、祭りを見ながら談笑している氷室蓮司と田村悠人が少し素の雰囲気が出ていて、その瞬間はきっと本宮泰風と山口祥行になっていたのかもしれない。味のあるいい表情だった。